宗教の本質と日本の在り方  五井昌久   五(5/7)『 白光 』誌 より( 本文縦書き )

   今迄の知識や経験ばかりに頼ってはダメ

 この日本を救い、世界人類を救う方法は、今日までの人間の知識や経験ではとても駄目なことは、一寸考えのある人なら誰にでもわかるのです。けれど、他に方法を知らないので、今日までの知識経験で、自分の了とする方に組してゆくだけなのであります。今日、自分の方法こそ、日本を救い、人類を救う方法なのだ、ということを、神の力を別にして説き得る人は絶対にいないのです。そのような人がいたら、その人は己れを知らぬ全くの愚者であるのです。

 私は、はじめから肉体人間の自己は凡愚なり、と親鸞式に捨て切ってしまって、全想念を神に返上し、神のみ心の方から生れ更って、世界平和の祈りの使徒として、働かされているのですから、その場のがれの政治政策には、なんの関心も持たないのです。それは私の使命の他のことであるからです。そんなことをいっても現実問題として、政治政策は次々と行なわれてゆくし、行なってゆかなければならない。そんな無責任なことをいって、と怒る人たちがいるかも知れません。しかし、その方々は、その方々で、自己の信ずる道を、自己の役目を果しつつ進んでゆけばよいのです。そういう役目に生れた人々も多数あるわけなのですから、その人々はそれでよいのです。

   永遠の生命を把握させるのが私の役目

 只、私はそうした業因縁の消えてゆく役目の受持ではなく、永遠の生命を人々に知らせ、永遠の生命を知ることによって、はじめて生れる個人の平和と世界人類の恒久平和への道を説き明し、行じ明すことの役目の受持であるから、その役目に専念していて、他の役目の方には想いをむける必要がないのであります。

 私の天命は、人類の根本的な生き方を知らせ行なわせる方の役目なのですから、現象的な次々とうつり変わる姿は、すべて消えてゆく姿として、その姿が善悪いかなる事柄であろうとも把われさせない方法を説いているのです。少しでも把われの想いがありますと、空即是色の世界、神の国がこの世に顕現する邪魔となるからです。地上天国顕現のためには、どうしても空 ( くう ) の境地というものが、人類になくてはならないのです。

 この空の境地というのは、安保賛成、反対というような想念の世界ではないのです。個の生命が全く大生命と一つになった瞬間が空であり、空になった瞬間が、実相顕現の姿となるので、真実の人間の姿、人類の姿が現われてくるのです。

 と、こんな風に書きますと、むずかしい理論的な宗教論になりそうで、現在の危機をのがれ得る方法には程遠いように思われますが、この程遠そうな空即実相(是色)の姿が、消えてゆく姿と世界平和の祈りの実行によって、かなり容易に私どもの環境に現われてくるのであります。

 もし、自己の立場上、どうしても現象的な賛成反対の渦中で生活しなければならない人々は、世界平和の祈りの心のまま、その時の想念 ( おもい ) のむくまま、賛成なり反対なりしたらよいと思います。その時の行為は、あなたの背後の守護の神霊が、そうした業 ( カルマ ) の渦の浄めとしてあなたにその想念を送ったのであります。世界平和の祈りから発した想念行為は、只単に自己の頭脳の働きとして発せられた想念行為とは全然異なる、光明化した行動となっているのです。

 何故なれば神を離れた想念行為と、神のみ心から発せられた想念行為とが、同等に論ぜられるわけがないからなのです。





※ Que a paz   prevaleça   no mundo.
  ケ ア パァス プレヴァレッサ ノ ムンド

  May peace  prevail   on earth.
  メィピース プリヴェイル オン アース
  
  Да  будет  мир  человечеству  во всём мире.
  ダァ ブージットゥ  ミール  チェラヴィェチェストゥヴ  ヴァ フスィオム ミーリェ

  我們 祈愿   世界 人類的 和平
  ウォメン チゥユェン  シィチエ レンレイダ ホアピィン

  世界人類 が 平和  で あります よう に
  セカイジンルイ ガ ヘイワ  デ アリマス   ヨウ  ニ  



  アヤニャワンネス




"宗教の本質と日本の在り方  五井昌久   五(5/7)『 白光 』誌 より( 本文縦書き )" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント