抜粋転載 “ 人間、全部が神で全部が仏 五井昌久 ( 四 ) “ 『 白光 』誌より ( 本文縦書き )

 全託するということは、悪い想いも善い想いも、すべて神様の中に入れてしまうことなんですよ。悪い想いだけは「これはいけないから」と言ってとっておいて入ろう、というんではない。それでは始めから入る必要はないんですよ。

 地上界の人間はまだ全般に修練が足りないから、チャッチャッと想いを超えることは出来ない。短気の想いも超えられない。妬みの想いも超えられない。超えようとすると苦しいんですよ。だからそうではなくて、想いを持ったまま飛び込むんです。

 共同風呂ならば、外で汚れを落としてからお湯に入る、というのが礼儀だけれど、神様の世界は構わずダッと入っちゃえばいいんです。そうすると神様は無限の光だから、ピューッと消してくれるのです。だから凡夫が凡夫のまま、迷いのまま、妬みのまま、恨みのまま、恐怖のまま入ればいいんです。

 恐怖の想いが起こってきたら、逃げちゃ駄目ですよ。たとえば地震がある、とか言われると「ああどうしよう」と思うでしょ。そう思っているうちは駄目です。どうしたらいいかと言うと、世界平和の祈りの中に入ってしまう。「五井先生がいるから大丈夫だ、五井先生!」と言うと、想いが五井先生の中に入る。するとなくなってしまう。原理が実に簡単なんですよ。

 悟るということは、実に簡単なことなんです。仏教の大蔵経を全部読まなきゃわからないものではない。聖書を旧約から新約から全部読まなきゃわからないようなもんじゃない。簡単なんです。

 想いがすべてのすべてなんです。人間のこの地上界をつくるためには想いが役立つ代わりに、想いが邪魔しているのです。役立つだけ役立って、今は物質文明の花が咲いて、人工衛星まで出来たいるんだから、もうこの辺で、想いを神様の中に入れて、役立たせることにしないと、原子爆弾で戦争になってしまうんです。