抜粋転載 “ 人間、全部が神で全部が仏 五井昌久 ( 一 ) “ 『 白光 』誌より ( 本文縦書き )

 “私達の天命が完うされますように”という祈りとは、想いがそのまま神様の中に入ってゆくのです。そうすると、神様のほうから、邪魔になる想いを消してくれ、その光がそのままサーッとすごいスピードで入ってくるのです。

 神様本来のスピードというのは、時間がないですから、無限の速さなのです。無限の速さの光が入ってくれば、たちまちすべてが成就するわけです。

 本当は神様に全託して「神様、わが天命を完(まつと)うせしめ給え」という時には、その人の天命はもうすでに出来上がっている時なんです。本当は、一度深く思えば、天命は完うされているわけなのです。

 だから一度、世界平和の祈りをすれば、本当はすでにその人の天命が完うされていて、神様のみ心に叶う生き方が出来ているわけなので、そのまま進めばいいんですよ。世界平和の祈りの想いのままで進めばいい。神様に全託した想いのままで、進めばいいんです。

 ところが、神様に全託した想いが、今日あったと思ったら、明日はそうでない。「ああじゃない、こうじゃない。病気になりやしまいか、貧乏になりやしないか、明日は地震がありやしないか」というふうに思う。

 その想いだけが余計なんです。だから思ったら、思った想いをまた、そのまま神様の中に入れてしまえばいいのです。つねにつねに神様の中に自分の想いを入れておけばいいのです。それで入れておいて、もし死ぬ場合があったとしても、死んだら死んだでいいんです。死んだということは、肉体がなくなっただけであって、霊魂というものは金星に行ってしまうかもしれない。要するに神様の世界へ行ってしまうんです。