‘ 私の祈念法   五井昌久 (三) ’   『神と人間』より抜粋転載(原文縦書き)

 私の祈りは、愛の祈りである。智慧は愛のうちに含まれていると私は思っている。

 ただし、愛とは情ではないことを申し添えて置きたい。

 情とは愛から生まれたもので、愛情と一つに呼ばれているように、愛とは切っても切れぬ関係がある。そのため、仏教では、愛さえも業と呼んでいて、迷いの本体である、と説いている。そして神の愛を慈悲と呼んでいる。私が今まで愛と書いてきたのは、情(執着)ではなくて、英語でいうCharity(チャリティー/慈悲心)のことである。しかし、愛は善で、情は悪である、と簡単に割り切ってもらっては困る。この現世では光に影が伴うように、愛には情がつきまとうのである。切りがたい情を涙を呑んで断ち切ってゆくところに、人間の美しさがあり、愛の輝きがいやますのである。

 情を簡単に切れることが、その人の冷酷性の現れであったりしたら、情に捉われやすい人よりなお悪いことになる。

 愛深い人が情に溺れぬように自重してゆく姿には、美があるもので、そうした人の動きの中に、神のこの現象界における生き方が示されているものと思われる。

 私の祈りは、自分が相手と一体になって、相手を抱(いだ)いたまま、神の世界に昇ってゆこうとする祈りである。

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