真の芸術精神は宗教精神と一つである(二)

    くさみのない人間になろう



  宗教的方面から、その本体を見るか、芸術的方面から見るかは、各人それぞれ違ってくるでしょうが、一体に宗教をやる人というのは、変にいやなくさみがあるのです。私は皆さんが、くさみのない人になって頂きたいと思うのです。

  宗教的くさみをとるためには、本当の美を探求して、芸術の目を養うことです。そうすればくさみもなくなり、凝り固りも消えてきます。

  宗教心というものは、表面にあるわけでなく、内にもあるもので、内に内にと入ってゆくものです。これ以上は、という絶体絶命になって、たまらなく溢れ出るものなのです。自然に滲み出てくるものであって、すうっと相手の魂にしみこんで、光を与えるものなのです。そうなるため、仕事のひまには、常に花を愛で、草を愛で、あらゆる自然を賞する心を修練する必要があるのです。そうすれば神様がたくまずわかってきます。

  言葉で神様、神様といってばかりいては、宗教の一つに固まってしまい、いかにも、私は宗教をやっています、というくさみが出てくるのです。言葉にはいくらでもいえるし、現わせるでしょうが、しかし神様を日常生活の行動に現わしてゆくことが、望ましいし本当なのです。



     五井昌久著   「生命光り輝け」より   その二   原文ママ

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