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zoom RSS ジュリアの音信 (13) より 抜粋転載

<<   作成日時 : 2016/04/06 00:00   >>

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(◆)ジュリアの音信(13)

(1908年10月12日)



                         ( 中略 )



現世と当界との違いは、現世での物質を失う、ただこの点ですわね。ですから、こちらに来た時は、地上に生まれた時と同じこと、裸体なんです。ただ両界の違いと申しますと、そちらへ生まれた時は記憶の一切を失いますけど、当界へ来た時は記憶が一層増すんです。もちろん、私達だって物忘れってこともあります。ですけど逆に思い出すことがとても多いのです。そちらで覚えていた事で忘れるものもありはします。人名とか住所とか、もう当界では無用の所持品名、物品名、とにかくこちらでは使わないから記憶から消えるのです。ですけど、当界に来てからものをいうことになる事柄は、はっきり覚えていて、まるで奇跡と思える程覚えているのです。でも時がたちますと、時にはすぐって事もありますが、いろいろ新しい学習などで謙そんの心を起こして、現世で身に付いていた罪から離れていくようになります。

天界ではお互いに心の中が見透しです。

ですけど、万人にその力があるのではありません。現世では「神様がみていらっしゃる」なんて、ふと思うことありますね。でも当界ではそれが日常の感覚なんです。その上にまた、霊の多くには人の心までが見通せるのです。こちらでは誰しも、相手の真人格を見る感覚が備わってますけど、その看破力には人により差があるのです。私達は幸いにして、愛の乏しい人達から見透されることはありません。愛の深い人達はまるで印刷物を見るように、はっきり人の心を読むことが出来ます。

当界では仮面を被ってることが出来ません。自分の思想とか気持ちを隠すことも出来ません。同じ程度の愛の持主の間では、心と心が見透しなのです。そうして、こういうことが進歩の原因になるのですね。第一が、物質を失うから裸体になることですね。第二が、自分の人格を隠す仮面とか手段が消え失せて、それで裸になること、これが当界での裸体の真相です。こちらの実情は右(上)のとおりで、丁度脱落前のエデンの園ですね。このことは暗い世界に入ってる人達も同じことで、ただ彼らは光がないから、はっきり自分の裸体の姿が見えないのです。

いわば私達はアダムとイブのように裸でして、自分の姿を見ることは恥ずかしいのです。もし神が婚礼の衣装のようなもので身を被うことをお認めにならなければ、神の前からも同輩の前からも逃げ出しましょう。「岩よ落ちて私を隠せ」とそう言いますでしょう。私達にはもともと何を為すべきか、人間の理想のようなものが備わっています。ですから、自分の現実と見較べる時、神の前に立っておのずから刑の宣告を受けているようで、その処刑に服さざるを得ません。ですけどその服罪、それがすなわち愛に入る門戸です。

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