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zoom RSS 何故祈りは必要か―『愛・平和・祈り』より 五井昌久 (五) 『白光』誌より 原文縦書き

<<   作成日時 : 2015/03/05 00:00   >>

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   祈りと国際関係について

 さてそこで、話を国際関係について考えてみますと、ソ連と米国がいくら平和についての話合をしてみたところで、そこにはお互いの国家の欲得ずくが作用しているので、横ひろがり活動の延長による話合なのでありますから、お互いが損をしたくないという想いが一杯なのです。お互いが一度空っぽな心になって話合えばよいのでしょうが、それはできない相談でしょう。

 ソ連が近頃軍縮をいいだしておりますが、これだとて本心からのものかどうかわかりません。もし本心なら、まず自分はこうするよと、軍縮の手本を見せたらよいのですが、そうは致しません。あれはあくまでも政治工作のように見うけられます。お互いが敵対心のままでの軍縮とか話合いとかいっても、これは所詮なりたちません。中国と日本の場合でもすべての国際間の問題にいわれることであります。

 ですから、もう横と横との関係だけでは駄目なのだ、駄目な時節になってきているのだと私が申すのです。

 ソ連と米国が仲良くやっていくためには、ソ連や米国の上に何かを置かなくてはなりません。それは一体なんでしょう。縦とのつながりなのであります。即ち祈りなのであります。

 この祈りをソ連に言葉で申してみたところで、唯物国のソ連が納得するわけはありません。米国に申しても、米国はクリスチャン国なのですから、頭でわかりは致しましょうが、個人的にはできても全面的な実行はできないことと思われます。

 祈りの姿、いいかえれば天地を貫いて生命が生き生きと生きる姿、自然そのままの姿、業想念にわずらわされぬ素直な人間の姿、こうした姿が個人間にも国際間にも現われてこない限りは、この地球界は滅びてしますのです。

 お互いに敵対感情という業想念があって、どうして真実の仲良しになれるでしょうか。なれるわけがないのです。敵対感情からは不安恐怖が生まれ、怒りが生まれてきます。ところが今日までの人間の生き方では、この敵対感情と自己保存の本能というものは消え去らないのです。そうしてそうした感情がある限りは個人も世界も救われることができないのです。

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